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横浜地方裁判所 平成6年(わ)2381号 判決 1996年2月22日

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、農業をしている家庭の二男として生まれ、茨城県岩井市内の小、中学校に通って同県立高校に進み、医師になることを目指して、同高校卒業後一浪をして、昭和五九年四月にS大学医学専門学群に入学し、平成二年三月に同大学を卒業し、同年五月に医師国家試験に合格して医師免許を取得し、同年六月からは同大学附属病院に研修医として勤めた。

甲野春子(以下、「春子」という。)は、会社員の家庭の長女として生まれ、東京都内の小、中学校に通って都内の私立高校に進み、昭和五七年三月同高校を卒業すると、専門学校に入学したが、同五八年一月高校時代から交際のあった男性と結婚して、同時に同専門学校を退学し、その後同男性との間に男児二人が生まれた。しかし、やがて同男性との仲がうまく行かなくなって、春子は、昭和六三年五月ころ二人の子供を連れて別居し、平成元年三月正式に同男性と離婚をし、一方離婚前から看護学校に通っていたものの途中で退学し、離婚後の同年一〇月ころからはつくば市内の病院で看護助手として働いていた。

被告人は、大学在学中から女性と交際して肉体関係を持つようになり、複数の女性とも交際があったが、うち一人とは特に親しくなり結婚を考える仲にまでなっていたところ、平成二年八月ころ、右のようにつくば市内の病院で働いていた春子を知り、小柄でかわいく思って交際を始め、まもなく肉体関係を持つようになった。被告人は、元々結婚は三二、三歳ころする積りで、それまで多くの女性と交際してみようという考えを持っており、春子との交際もそうした結婚を前提としない遊びの付き合いと考えていたため、春子が意外にも年上であり離婚歴もあることを知ったときは驚いたものの、春子との付き合いを止めようとはしなかった。そして、被告人と春子は頻繁に会って肉体関係を持ち、春子と一緒に生活していた二人の子供も、父親である前夫が引き取って育てることとなったことから、同年秋ころからは当時被告人が住んでいたアパートで同棲に近い生活をするようになった。被告人は、翌平成三年一月ころ春子から妊娠したことを知らされ、結婚する気が無かったので、春子に中絶をさせたが、その直後春子が再び妊娠し、今度は出産することを強く望んだので、被告人は子供が生まれても結婚はしないと言ったものの、春子が結婚をしてくれなくとも産みたいと言うことから、被告人は結婚はしないが認知はすると約束し、平成三年一一月一八日春子は女児を出産した。被告人は、子供が産まれるとかわいく思い、やはり子供のためには父親が必要であると考えられ、また出産後結婚を迫るかと思っていた春子が、特に結婚を迫ってくることなく、しおらしい態度が見えたことから、春子との婚姻届を出すことにし、同年一一月三〇日春子との婚姻届と、生まれた子供の出生届をその名を秋江として出した。

被告人は、右届を出した翌日の一二月一日から、新たに勤務することとなった日立市内の病院に単身赴任したが、単身での生活が始まると直ぐに、春子との婚姻届を出したのは失敗だった、あわてて出す必要はなかったと後悔するようになり、やがて春子にうまく騙されたのではないかとの思いが強まり、春子に対する思いやりの気持ちが冷めてゆくのを感じた。そして、被告人は、三〇歳を超えるまでは多くの女性と自由に遊びたいとの気持ちを捨てられず、平成四年一月になると、勤務先の病院の看護婦達を誘って情交関係を持つようになった。被告人は、そうした看護婦達との情交関係を持つほど春子から心が離れて行って、浮気の頻度も多くなり、週末に春子の元に帰らないことが多くなったため、春子は、被告人が浮気をしていると察知し、被告人を問い詰めて責め立て、浮気相手の女性を電話でなじったりし、その後は被告人に対する疑いの心を持ち、被告人を監視するかのようにその行動を探るようになった。被告人は、そうした春子を疎ましく思い、春子から心が離れるのを覚えつつ、何とかごまかしてその場その場を切り抜け、浮気を止めることはしなかった。

被告人は、平成四年四月から茨城県東海村の病院に転勤し、同年七月にS大学附属病院に戻って、春子や秋江と一緒に生活するようになり、同年一〇月から同県守谷町内の病院に勤務することとなった。そして、春子の希望もあって、同月末につくば市大字真瀬<地番略>所在の一戸建住宅を借り、そこに一家で住んで生活することとなったが、まもなく妊娠していた春子が流産のおそれで入院したので、被告人が数か月間秋江の世話をすることとなり、翌平成五年二月一八日に男児が生まれ、被告人は冬夫と名付けた。

被告人は、自分なりの医師としての考えと経済的な理由から、大学の系列から離れることとし、平成五年四月から父親の伝手で茨城県猿島町にある医療法人Y病院に勤務することになった。被告人は月収が手取りで約一〇〇万円あり、一家の生活も軌道に乗り出したように思われ、四〇万円を生活費として春子に渡し、その他クレジットやローンの支払いがあるものの、自分の自由になる小遣いも豊富になったことから、新しい勤め先に落ちつくとその女性遍歴の習癖が出て、同年六月以降勤務先病院の看護婦達と情交関係を持つようになった。

春子は、被告人の帰宅が遅くなるなどしたことから、被告人が浮気をしていると察知し、しばしば被告人を問い詰めて責め立てたが、それに対し被告人は、その場その場で言い逃れをしていたものの、次第にそれも通用しなくなると、かえって春子への不満をあげつらね、春子を逆に責めるようにもなった。被告人は、以前から春子に対し、我が強く、経済観念が無く、家事や育児を十分にしないなどと不満を持ち、妻としてそうした粗が目立つと思っており、そのため喧嘩の際そうした不満や思いを口にして春子を攻撃したが、春子はそれに対してかえって反発し、逆上したりして、二人の喧嘩は激しくなるばかりであり、互いに相手を責めて激しくなじり合い怒鳴り合って、時には暴力も出ることがあった。そして、被告人が喧嘩の際、春子に稼いでいないくせにとの言葉を吐いたことから、春子は、激しく反発してアルバイトをするようになり、ホステスやカラオケのコンパニオン、さらに後には深夜の医療検査補助のアルバイトをするようになり、ますます家事や育児がおろそかになった。こうして、被告人と春子の間は冷えてゆく一方であり、互いに愛情はないという言葉を口にして憎しみをぶつけ合い、意地を張り合って互いに引かず譲らない状況になっていった。

被告人は、春子との間が冷えゆくにつれて、他の女性に接近することが一層強まり、特に以前から関心を持っていた勤務先病院の看護婦へ盛んに接近して誘い、平成六年八月下旬にその看護婦と初めて情交関係を持つと、以後甘い言葉を掛けて、妻と離婚して結婚したい、妻とは近く離婚できるなどと頻繁に口にしていた。

同年九月上旬、被告人は、外泊したことで春子から浮気相手の名前を明らかにするよう迫られて、看護婦の名前を明らかにしてしまったところ、春子は直接看護婦と会ったが、看護婦に被告人と結婚したいと言われたことで興奮して、被告人には絶対離婚はしないと言い、その後同看護婦の母親の下に慰謝料を請求するなどと電話をし、さらに被告人の父親に被告人の浮気のことを告げた。そのため被告人は、父親から厳しく意見をされたが、一方で春子は、浮気相手と同じ病院に勤めているのは許せないとして、被告人に勤務先病院を辞めるよう言い出し、それを迫るようになった。しかし、被告人は、現在の病院のように高待遇で雇ってくれる病院はそうやすやすと無いことから、春子をなだめるため時間をくれれば看護婦とは別れると言い逃れをする一方、看護婦との関係を切ることなく、看護婦には妻とは別れて一緒になると告げていた。

被告人は、父親に意見をされ、春子には離婚を承諾する意思が無く、むしろ春子が、看護婦に慰謝料を請求する、被告人か看護婦のどちらかを病院から辞めさせる、あるいは被告人の勤務先の病院長に会って話をするなどと言っていることから、春子の気持ちを荒立てないためにも、当面家庭の維持に努めることとして、その姿勢を示し浮気も控えようと考え、同年九月半ばからは、休暇を取って家族を旅行に連れて行くなど、家庭サービスに努めた。

こうして被告人は、自分なりに家庭の維持のため努力し、春子の気持ちを鎮めようとしてきた積りであったところ、同年一〇月一八日、春子が、被告人の職場旅行を浮気相手との旅行ではないかと疑い、ところで病院を辞める話はどうなったのかと冷然と言い放ち、この件については忘れていないという態度を示したため、被告人は、改めて春子の執念深さを感じ、春子はあくまでも本気で被告人に病院を辞めさせる積りでいるのかと思い、この一か月余り家庭を維持するため自分なりに努力したのが全く通じなかったと思うと、愕然とするとともに、春子に対し前にも増して憎しみの感情が湧き、怒りがこみ上げて来て、春子との結婚生活はやはり続けていけないと考え、離婚ができないのであればいっそのこと春子が死んでくれればよいがとの思いを抱いたりし、もはや春子の機嫌を取って家庭を維持していく気持ちが消失してしまった。

被告人は、このように春子に対する憎しみが一層高じ、事ある毎に怒りがこみ上げるため、喧嘩になれば理性を失い感情の勢いで何をするか分からないという心境にもなり、なるべく喧嘩をするのを抑えていたが、同年一〇月二三日日中から翌二四日午前四時ころにかけて、断続的に春子と激しい喧嘩をすることとなった。同月二三日、職場旅行から帰った被告人に対し、春子がお土産を買ってきても愛情が感じられないと愚痴ったことから、二人の間で喧嘩となり、激しく言い争ううち、春子から愛情があるのかと迫られて、被告人が、「愛情があるわけでなく離婚もできないので、仕方なく一緒に生活を続けているのだ」と、本心を露にした言葉を吐いたところ、それを聞いた春子はたちまち怒り出し、あなたを刺して私も死ぬと叫びながら包丁を持ち出して、屋外まで被告人を追いかけ回し、さらにその真夜中にも、二人は、互いに憎しみや怒りの感情を剥き出しにして激しく言い争い、そのうち春子は、やる瀬がないというように、「居なくなればよいと思っているのでしょう、死ねばいいんでしょう、殺して」などと叫び、ついには包丁を自分の首に当てて被告人の方に倒れ込む動作をしたりしたが、こうした春子の言動に対して、被告人は、春子がただ嫌がらせをしているに過ぎないと考え、ますます嫌悪の感情を持った。そして、この激しい喧嘩以後春子は、気力を一層無くしたように、夕食の用意も家の中の掃除などもしなくなり、被告人が帰宅途中夕食用に弁当等を買ってきて、それを家族で食べるといったことにもなった。

同年一〇月二六日、秋江が被告人と春子の度重なる喧嘩を目の当たりにして幼い胸を痛めたのか家出し、近所の人に送って来てもらっても、自宅を前に自分の家はここではないと言ったという出来事があり、被告人はそれを知って衝撃を受け、何とか子供達のために家庭を維持して行こうと考えるが、一方では春子を目の前にすると憎しみが先立ち、春子が秋江の家出について特に責任を感じていないように思われ、怒りの感情が湧くのであった。

こうして被告人と春子の間は、互いに憎しみをぶつけ合い怒りを露にした衝突を繰り返し、どちらも引こうとしない抜き差しならない状態に至っていた。

(罪となる事実)

被告人は、同年一〇月二七日、病院へ出勤して治療に当たり、その日は当直日であったため夜は当直に当たり、翌二八日、午前中は勤務先病院での治療に従事し、午後は派遣先の病院で治療に当たり、午後六時過ぎころ勤務を終えて、つくば市大字真瀬<地番略>の自宅に向かったが、途中ディスカウント店に寄って、以前から春子に言われていた犬小屋を修理するため、ビニール製のロープやガムテープ、はさみ、ビニール製袋、手袋等を買い求め、午後八時過ぎころ帰宅し、午後九時ころ近くのコンビニエンスストアで買ってきた弁当等で家族四人で夕食をとった。その後春子は直ぐに二階に上がってしまったので、被告人は、自宅一階居間で新聞やテレビを見ながら、傍らで遊ぶ子供達と過ごし、午後一二時前ころその子供らも眠くなって二階に上がり、被告人も居間のソファでうとうとしているうち、そのまま眠ってしまった。

第一  翌二九日午前四時少し前ころ、自宅一階居間で寝ていた被告人は春子の声で起こされ、ソファの側に立った春子が、「私と一緒に寝るのが嫌なの」と絡むようにきつい口調で言ってきたため、被告人は、むっと来て怒りがこみ上げ、家の中が散らかり放題であり、食事など子供の面倒を満足に見ていないことや、深夜までアルバイトをすることなどを非難し、春子を責めると、春子も、「借金があるから働いている、何時離婚すると言い出されるか分からないので働くのを止められない」と言い返し、さらに興奮して、被告人の女性関係を持ち出しわめきながら、爪を立てて被告人の手を引っ掻くなどし、それに対し被告人も、好きでもないのに一緒に居てやっているのになどと言い放ち、そのため春子はヒステリックになり、引き続き二人の間で、「病院長に直接話して被告人と看護婦の二人とも病院を辞めさせてやる」、「今辞めれば働くところがなく、皆で暮らしてゆけなくなる」などと、激しい言い争いがかなりの時間続き、ついに被告人が、「もし病院へ行ったら、ぶっ殺してやるからな」と怒鳴った。その後しばらく沈黙が続いたが、同日午前五時三〇分ころ、春子は突然台所へ行き、音を立てていたが、まもなく包丁と前日夕方被告人が買ってきたものから切ったロープを持って、居間に戻ってくると、「そんなに嫌いなら殺してもらった方がいい」と言い、被告人が包丁を置けと言うと、ロープで首を絞めてくれればいいと言い、被告人が自分で死ねと言うと、「あんたが殺して頂だい、首を吊るからあんたがロープを持っててよ」と言いながら、自分の首にロープを一巻きにして、そのロープを持つよう被告人に言った。そこで、被告人はソファの上に立って、春子が首に巻いたロープを左右の手で持つと、春子は、同じくソファに上がり、「ロープをちゃんと持ってて、死んであげるわ」と言いながら、ソファから飛び下りたが、被告人がそれに合わせてロープを持つ手を下げたため、春子の首は締まらなかったところ、春子は、「殺さないんだったら明日本当に病院へ行くわよ、あんたが私のこと目茶苦茶にしたんだから、あんたも目茶苦茶にされて当たり前よ、何で殺してくれないのよ」と激しく罵るように言った。それを聞いて被告人は、春子があくまでも自分を破滅させようとしているものと思い、これまでも何度も高まりつつも何とか抑えてきた憎しみがついに極まり、春子を殺さないではおけないととっさに殺意を抱くと、春子の首に巻かれたロープを両手で思い切り引っ張ってその首を絞め、春子が被告人の手を掴み引っ掻いたものの、なおロープを力一杯引っ張って締め続け、春子の爪を立てていた手が離れて垂れ下がったところでロープから手を離したが、床に崩れ落ちた春子が大きな息を吸ったため、倒れた春子に馬乗りとなると、両手でその鼻と口を押さえ続け、そのころ春子(当時三一歳)を窒息死させて殺害した。

第二  被告人は、春子殺害後茫然とし、しばらく人殺しをしてしまった、自分の人生も終わりだなどと思いつつ過ごしたが、秋江と冬夫のことに考えが及んで、子供らのためにと維持してきた家庭も虚しく壊れ、母親を失って父親がその殺人者となってしまった子供達の将来を思うと、いかにも子供らが不憫に思われ、むしろこのまま生きて行かせるより死なせてしまった方が幸せではないかと考え、秋江と冬夫を殺すことを決意した。

そこで、被告人は、春子の首から外したロープを持って、自宅二階寝室へ行き、同日午前六時ころから八時ころまでの間に、まず長男冬夫(当時一歳)を、うつ伏せに寝ているところを首にロープに巻いて交差させて両手で引っ張り、その体を持ち上げながら絞め続けて、窒息死させて殺害し、引き続き、長女秋江(当時二歳)を、仰向けに寝ているところをうつ伏せにして、首にロープを巻いて交差させて両手で引っ張り、その体を持ち上げながら絞め続け、さらに床に倒れたところをハンカチ様の布でその鼻と口を押さえ続けて、窒息死させて殺害した。

第三  被告人は、右三名を殺害後自殺しようかあるいは自首しようかなどと考え、決断がつかないうち、前同日午前九時過ぎになっているのに気づき、ともかく病院へ出勤することとして、春子の死体を自宅一階居間から二階寝室に運んだ上、勤務先病院へ遅れて出勤し、その日は土曜日であったので、午前中診療に当たって、午後早い時間に帰途につき、自動車で自宅へ向かう途中、もはや自殺も自首もする気がなくなって、殺人の犯行を隠蔽するためには三人の死体を海に投棄するしかないと決意した。そこで、被告人は、同日午後二時二〇分ころ自宅に着くと、春子の死体を、スカートをはかせた上ビニール袋を被せて、ガムテープで貼り合わせロープで縛って梱包し、それに重しとして鉄亜鈴二個を結び付け、秋江の死体を、ビニール袋、ガムテープ、ロープで同様に梱包して、鉄亜鈴一個を結び付け、冬夫の死体を、バスタオルで包んで、ビニール袋、ガムテープ、ロープで同様に梱包して、鉄亜鈴一個を結び付け、それぞれ投棄する準備をした。被告人は、同日夕方から茨城県日立市内の病院で当直勤務を行い、翌三〇日午後一旦帰宅したが、死体の処分は夜間に行おうと考え、それまで自宅には居たくなかったので歓楽街へ行って時間を過ごすことにして、自動車で自宅を出て都内新宿へ行き、その際死体に付けた重しが足りないと考えて、スポーツ用品店で鉄亜鈴四個を買い求め、その後遊興して、同日午後一一時ころ自宅へ帰った。被告人は、帰ると、梱包してあった三人の死体を二階から一階玄関内側まで運び、さらに買ってきた鉄亜鈴を、春子の死体に二個、秋江と冬夫の各死体に各一個ずつを結び付けた上、自家用自動車の後部座席に春子の死体を、同自動車のトランクに秋江と冬夫の各死体を積み込み、翌三一日午前零時五〇分ころその自動車を運転して自宅を出発し、当初茨城県北部の海に向かう積りであったところ、誤って高速道路に入ってしまったため、そのまま常磐自動車道、首都高速道路を通って神奈川県に向かった。被告人は、横須賀付近まで行こうと考えたものの、死体を積んでいるのが露顕するのをおそれて早く投棄したいと思い、同日午前二時ころ、横浜市鶴見区大黒町一一番一号先の京浜運河上に架かる首都高速道路の神奈川五号大黒線下り一・八キロポスト付近に差しかかった際、同所で下の海中に投棄しようと決意し、自動車を停止させると、まず春子の死体を自動車から取り出して海中に投げ入れ、続いて秋江の死体と冬夫の死体を取り出して海中に投げ入れ、それぞれ各死体を遺棄した。

(証拠の標目) <省略>

(法令の適用)

被告人の判示第一及び第二の各殺人の行為は、いずれも刑法(平成七年法律第九一号による改正前のもの。以下同じ。)一九九条に該当し、判示第三の行為は各死体ごとに同法一九〇条に該当し、それは一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により犯情の最も重い春子の死体に対する罪で処断し、所定刑中判示第一の春子に対する殺人罪につき無期懲役刑を、判示第二の秋江及び冬夫に対する各殺人罪につきいずれも有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、同法四六条二項本文により他の刑を科さずに被告人を無期懲役に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項ただし書により被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、夫が妻と二人の子供を自宅内で相次いで殺害し、その上三人の死体を海中に投棄し、その後妻らの家出を装う偽装工作をして、自らは素知らぬ顔で勤務を続け、その一方で浮気相手と接触を続けていたというもので、しかもその犯人である夫が、医師という一定の社会的地位にありながら、倫理観念もなく浮気を重ね、夫婦不和と夫婦喧嘩の果てに憎しみを募らせて妻を殺し、さらに一挙に二人の子供をも殺害したという、極めて衝撃的で社会に大きな驚きと反響をもたらした事案であり、その犯行に至る経緯及び犯行の内容はすでに判示したとおりであるが、なお、量刑に当たって考慮すべき事情について検討する。

本件は、何を置いてもまず三人をも殺害しその生命を奪ったという点において誠に重大である。生命の貴重さ、重大さについては改めて言うまでもないところであり、しかも被告人は、医師として当然生命の貴重さを学び、生命の保持を使命と心得ていたはずであるにもかかわらず、妻を殺害し、その上自ら父親として庇護すべき二人の子供を殺害したもので、三人の生命を奪ったという点において、本件は殺人罪の中でも事例少ない犯行であるといえる。

被告人はまた、重大な殺人を犯したばかりでなく、ただ自己保身からさしたる罪悪感にとらわれることなく、妻であり子供であった者の死体を無造作に高い橋の上から海中に投棄しており、海の沖合に流れることを期待して永遠に葬り去る積りであったもので、夫や父親としての情を感じさせない無慈悲な行為というべきであり、世人の憤りをかき立てずにはおれないところで、強い非難に値する。

さらに、殺人及び死体遺棄の犯行後の被告人の行動にも、卑劣で強く非難されるべきものがある。右の一連の犯行後、自己の犯行を隠蔽するため、三人の家出を装って偽装工作をしたり、警察に捜索願いを出したりし、春子の母親からの必死の問い合わせにも嘘をついて白を切り通し、一方では浮気相手の女性と接触して、隠蔽工作の一環として同女性を利用するなどしているのであって、余りに利己的、打算的であり、罪の意識を欠くこと甚だしいといわねばならない。

被告人によって殺害され死体を遺棄された春子は、被告人との結婚を喜び、浮気をする被告人に自己への愛情と支えを懸命に求めていたのであり、なるほど本件直前ころには二人の葛藤激しく結婚生活の行く末も分からない状況にあったとはいえ、被告人に本件のような形で命を絶たれるとは予想せず、二児と共に生きることを考えていたのであり、それにもかかわらず三一歳にして無残にも命を絶たれたのであって、その無念さを察するに余りあり、悲嘆の叫びが今もって聞こえるがごとくであり、その霊が安まることは容易でないものと考えられる。また、二人の子供は、その運命余りに悲しく可哀相というべきであり、生を受けるや親達の葛藤の狭間に置かれ、小さな胸を痛める日々も少なくなかったと思われ、そして遂に親の身勝手さの犠牲になったもので、嘆きの言葉を表すことさえ十分能わない年端にして、不憫にも命を絶たれたのであり、誠に哀れで万人の涙を誘わずにおれないというべきである。こうして、三人に対して行った被告人の所業は、余りの残酷で非情であるといわねばならない。

さらに、被害者らの遺族の嘆きと怒りは、この上なく大きいといえる。春子の母親は、娘が幸せな結婚生活を送っているものと思っていたところ、やがて夫婦不和の様子を娘から時々漏らされ、結婚生活の行く末を案じながらも自らどうすることもできず、ただ胸を痛めるばかりであったとき、突然娘の行方不明を知らされ、不安が胸中をよぎりながらも必死にその行方を捜す中、娘とその子供二人の死を知らされ、その殺人犯が娘の夫であると知ったときの心中を察すると、その無念さ、怒りはこの上ないほどであったと考えられる。このように、春子の母親さらに弟の遺族が受けた精神的衝撃、苦しみ及び被告人に対する怒りの感情は誠に大きいと考えられ、それは尤もなことといえる。

こうした殺人と死体遺棄の結果の重大性、犯行後の隠蔽行動、遺族の被害感情等に鑑みれば、被告人の責任は極めて重いといえる。

検察官は被告人に対し極刑の求刑をしているので、さらに検討する。

極刑である死刑をもって臨むには、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等の事情を考慮すべきものと考えられ、本件については、先に指摘した殺害された人数を含め結果の重大性、死体遺棄の行為、犯行隠蔽の行動、さらに被害者遺族の感情など、極刑も考慮される事情が存することは否定できない。

そこでさらに、他の事情について考察する。

本件各殺人の動機を見てみると、妻春子の殺害は、夫婦不和と夫婦喧嘩の繰り返しにより憎しみの感情が生まれ高められていた中で、直前の喧嘩の際の春子の挑発的な言動を切っ掛けに憎しみが頂点に達した結果であり、子供らの殺害は、母親を亡くし父親が殺人者となった子供らの将来を不憫に思った結果であり、いずれも衝動的で短絡的であって、強く非難されるべきところである。しかしながら、本件妻子の殺人が、例えば自己の物欲や情欲のため妻子殺害を図るといった、甚だ一方的な利己的目的のため敢行された計画的犯行ではないことは明らかであり、本件各殺人が動機において余りに身勝手で悪質極まるものとまではいえない。なお付け加えると、なるほど以前から憎しみを抱き強めていたことはあったとはいえ、従前その憎しみに基づいて現実に殺意を持ったことも、ましてやそれに従った行動に出たこともなかったのであるから、本件殺人をもって計画的であるとか、それと同視できるとかはいえず、衝動的、偶発的な犯行に過ぎないというべきである。

さらに遡って、本件犯行の背景及び誘因としての夫婦不和と夫婦喧嘩の繰り返しについて考察すると、被告人の浮気という夫として無責任な行動がその契機であり理由であったことはいうまでもないが、被告人と春子との結婚に至るいきさつや結婚生活の状況等から窺えるのは、二人の間においては、当初から精神的繋がりが希薄であり、人格を尊重し合い、互いの考え方・価値観・結婚観等を理解し、協力し合おうとの態度がほとんどなく、互いに自己の考え方、観念等のみにとらわれて勝手に行動し合って夫婦生活の体を成しておらず、かえって不満を述べ相手の欠点を責めるのに急で隔たりを大きくするのみで、夫婦不和を拡大させ喧嘩を繰り返して憎しみをかき立て合い増大させていったということであり、このように夫婦不和と夫婦喧嘩の繰り返しについては、二人の互いの行動が原因となり影響し合っており、ひとり被告人の責任とはいえないのである。そうすると、犯行の背景及び誘因には、被告人の責めにのみ帰することができない面があり、斟酌すべき事情がある。

殺人の手段方法は、妻に対してはロープで首を絞め、その後両手で鼻、口を押さえて窒息死させ、二人の子供に対しては寝ているところをいずれも首をロープで絞め、さらに一人に対してはハンカチ様の布で鼻、口を押さえ、いずれも窒息死させたものであり、特に妻に対してはかなり長い時間にわたって絞めあるいは押さえており、非情なものであるとはいえるが、しかしその方法は、特に苦しみを増大させるような残酷なあるいは凄惨な方法とはいえず、いまだ悪質な手段方法であるとはいえない。

さらに被告人の人格についてみると、被告人の本件犯行に至る経過や犯行の内容及びその後の行動などから窺えるのは、思慮の浅薄さ、場当たり的思考、さらに真摯性の希薄さなどが目立つということであり、女性関係にしても、交際を重ねても例えば人間としての情愛を育み、人間性を向上させるということもなく、ただエゴイスティックに振る舞うだけであり、このような被告人の人格が本件各犯行の底流にあり、随所に現れているといえるのである。しかし一方において、被告人のこれまでの経歴を見ると犯罪を繰り返すような顕著な反社会性は認められないのである。そうすると、被告人の人格に右に指摘したような面が見られるとしても、それが犯罪に結び付くものではない限り、それゆえに刑罰をより重くする理由にはならないというべきである。

そして、被告人は、上述の犯行後の卑劣な行動があったものの、本件一連の犯行を一旦自供するに至ってからは、素直に取調べに応じ、詳細に事実を話し、捜査段階から公判を経て、自己の犯行の重大さ、さらに犯行の背景となった人格の未熟さ、人間性の至らなさを今更ながら認識するとともに、本件について深い真剣な反省悔悟の態度を示しており、今後その人格陶冶が図られる可能性も高いといえる。

そうすると、上述の不利、有利のかれこれの事情その他諸般の事情を総合考慮すると、被告人については、極刑をもって臨むについてはいまだ隔たりがあり、無期懲役刑に処するのが相当であると判断する。

(裁判長裁判官 松浦繁 裁判官 長谷川誠 裁判官 鈴木尚久)

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